1903(明治36)年生まれ、北海道登別市出身のアイヌで『アイヌ神謡集』の編訳者。
祖母がユーカラクル(ユーカラを謡う人の意)であった知里幸恵は、アイヌ語に堪能で、失われつつあるアイヌの文化を後世に伝えるべく『アイヌ神謡集』を書き上げたが、心臓病のため、19歳の若さで死去。
幸恵は19年という短い生涯のうち,6才から19才までの約13年間を旭川で過ごしました。その彼女が旭川で生活していた場所が、現在の旭川市立北門中学校のあるところです。
このことを後世に伝えるために、学校関係者はもとより地域の方々の協力のもと、1990年(平成2年)には校舎前庭に「知里幸恵文学碑」が建立され、1997年(平成9年)には校内の一角に「郷土資料室」が、そして2007年(平成19年)に「知里幸恵資料室」が整備されたとのことです。
「その昔この広い北海道は、私たちの先祖の自由の天地でありました。天真爛漫な稚児の様に、美しい大自然に抱擁されてのんびりと楽しく生活していた彼等は、真に自然の寵児、なんという幸福な人たちであったでしょう。・・・・・」
※アイヌ神謡集冒頭の物語「梟の神の自ら歌った謡」の有名な書き出し
◆大正時代のアイヌ文化伝承者。北海道幌別生れ。
旭川区立女子職業学校卒業。
死後、1923年(大正12年) 「アイヌ神謡集」出版。
北海道幌別のアイヌ村長(コタンコロクル」の家柄。
知里高吉の長女、母はナミでユーカラの語り手金成(かんなり)マツの妹。
知里高央(たかお)・知里真志保(ましほ)の姉。
金田一京助の家に寄寓しているときに急死。
1903年 登別に生まれる。
1907年 弟、高央が誕生。
この頃、祖母モナシノウクと2人暮らしを始める。
1909年 弟、真志保(アイヌ言語学者)誕生。
旭川へ転居し、金成マツと祖母と3人暮らしを始める。
1910年 小学校入学。
9月にはアイヌの児童が集まる小学校が開校しそこに移る。
1917年 旭川区立女子職業学校へ入学。
1918年 金田一京助と出会う。(彼女:15歳の運命の出会い)
1922年 5月、東京の金田一宅に住み始めるが9月に亡くなる。
1923年 没後「アイヌ神謡集」(東京郷土研究社)が出版される。
1975年 東京から登別に改葬される。